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拱北砲台

拱北砲台は劉銘伝が1886年に築いた9つの砲台の一つで、唯一の内陸型砲台です。歴史的価値は高く、1895年に日本軍に占領され、現在は軍事の重要な拠点となっています。拱北砲台は馬公城外の東北方向の拱北山上に位置し、馬公港の後方を守る重要な砲台でした。日本軍が上陸した際には最初の占領目標となり、この砲台を攻める争いでは、日本軍は2人の死者と17人の負傷者をだしました。拱北砲台が陥落すると、日本軍は長駆直入し、馬公城を占領しました。

 

現在の砲台は日本統治時代の大型砲台で、完全な設備を有します。また、観測所も残っています。澎湖には現在、オランダ時代、清国末期、日本統治時代の砲台が残っていますが、この砲台は唯一の日本式砲台です。澎湖で最も高い拱北山にあり、馬公港を守る重要な役割を担っています。現在、ここは軍事管制区になっており、一般開放はされていません。

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