人文史跡
考 古学者によると出土した文物から鑑定して、澎湖は四・五千年前にすでに人類が活動していたそうです。歴史上に登場するのは、北宋前のことで、大陸東南沿岸 から漢人がやってきて臨時の漁業基地にしていました。南宋に入ると漢人の定住がみられ、1281年になって正式に巡検司が派遣されます。明朝末になると戦 乱を逃れて大陸東南部から大量の漢人が移民し、漁業・農業・牧畜に従事しました。
澎湖天后宮
鑿花(吊桶)
ですから澎湖の開発はおよそ七百年前に遡り、台湾でももっとも古い歴史を誇っています。当時の行政単位は福建泉州府晋江県。そうした環境と歴史が、古い家並みが残る中央老街、四百年の風雨に耐えた澎湖天后宮、枯れ草の古戦場など、澎湖に豊かな文化財を残しました。
澎湖合院建築と集落は福建省南部の様式を伝えています。中国伝統の中庸の精神に従い、正間を中軸に左右前方の護龍(守り神の龍)が対称に配置され、 また真正面に変化に富んだ門罩や門楼が連なっています。後方に行くほど大切なもの、尊ばれるものという配列も伝統的な集落のスタイルです。西嶼二崁は台湾 でももっとも古い集落が保存されている地区です。望安中社と湖西沙港の旧居群も文化的価値の高いものです。
澎湖の常民文化は、厳しい自然と対置してきた澎湖人の不屈の精神に裏打ちされています。 そのため信仰は常に澎湖の人々の生活に密着していました。県内97の村には、わかっているだけでも180以上の廟・寺・教会が建てられています。そして辻 ごとに見かける「石敢當」信仰も見逃せません。そのほか古石(珊瑚石)に囲まれた「菜宅」・漁法のひとつの「石滬」・伝統の合院式集落など、いずれも澎湖 を代表する文化資産です。
石滬
石敢當