そのむかし、澎湖の廟に「公廟」と「私廟」の区別があったことをご存知ですか?このうち、「公廟」は「闔澎」(閩南語で蓋澎と呼びます)ともいい、澎湖天后宮、媽宮城隍廟、そして澎湖観音亭は線香の煙が絶えず上ることから、「闔澎三大古刹」と呼ばれています。
毎年、旧暦7月のお盆の時期になると、城隍廟から始まり、そのほかの各地の廟がそれを引き継ぎながら進めます。城隍廟は、毎年、澎湖における普渡のスタート地点となることから、「城隍廟で始まり、観音亭で終わる」という俗語があるほどです。
澎湖には文澳と媽宮の二つの城隍廟がありますが、これは台湾地区の在り方からすると、かなり特殊な状況だといえます。当時、文澳城隍廟の規模が小さかったことから、清朝時代の役人は神様に対する尊敬の度合いが足りないと考え、1779年に今目の前にあるこの媽宮城隍廟を建立しました。その後、何度かの改築を経たことで、今日のような規模となったのです。
1885年の清仏戦争の時、砲火は澎湖にも向けられましたが、城隍廟の神様が澎湖の人々と兵士を守ったと言われています。このため、城隍廟には光緒帝が与えた「功存捍衛」の扁額が飾られるようになり、城隍が「霊応侯」に封じられたことから、その位も府城の城隍と同等となりました。廟の中には、当時皇帝から賜わった「敕封霊応侯」の扁額もあります。貴重な歴史的文物の数々を探してみてください。
アクセス情報
23°33'58.32000"N 119°33'58.89600"E