かつて渡頭街、あるいは水仙宮街と呼ばれたこのエリアは、かつて馬公市で最も栄えた通りの一つでした。水仙宮は、地元における信仰の中心の一つでしたが、いまでは大部分の人にとって台廈郊会館と呼んだ方が馴染みがあるでしょう。1875年に水仙宮は会館となりました。「郊」とは、清朝時代の商業同業組合を指し、台廈郊とは清朝時代に台湾、澎湖、アモイを結んで貿易を営んだ商家によって設立された商業同業組合のことです。
水仙宮が最初に建てられたのは1696年のことで、澎湖の四大古刹の一つです。1900年の日本統治時代に「台廈郊実業会館」と改称され、1929年に広々とした二階建ての建築に改築されました。一階は、台廈郊のオフィスとして使われ、二階は水仙宮で、大禹、伍員、屈原、項羽、そして魯班の五体の水仙尊王が祀られました。全体の建築は街屋造りで、澎湖で初めての二階建ての廟宇建築です。一、二階は、左右対称で木造の階段で繋がっており、一階のひさしが四角亭に連なることで、内外を渡す空間となっています。上を見てください。上に見えるのが二階にある水仙宮の広場です。改築後、水仙宮の神様は一階に移して祀られています。
ここの窓をご覧ください。一般の廟宇建築とは違って、欧風の上下に引く窓に設計されています。また、澎湖の貝殼砂を洗って使用する方式で施工されており、石柱や壁面の材料として使われ、欧風と澎湖の風格が融合したものと言えるでしょう。
アクセス情報
23°33'49.06800"N 119°33'51.51600"E