澎湖開拓館の前身は「澎湖県長公館」で、1933年に建てられた日本統治時代の澎湖庁長であるとともに、第二次世界大戦後は澎湖県長の官邸でした。この建築の特色は、和洋混合の建築形式にあります。和洋折衷建築とも呼ばれ、地元・澎湖の建築素材を使用しています。
入口の玄関と、西洋式のホールと食堂の部分は、洋式の鉄筋コンクリート建築で、屋根と和室の客間、寝室と廊下は、設計から材料に至るまで、準然たる日本式の風格を湛えています。入口の前に広がる庭は、澎湖特有の玄武岩を積み重ねて造った低い塀によって内外が隔てられています。
同じく日本統治時代の1933年に建てられた澎湖庁舍は、当初、日本政府が台湾の統治を始めた後、清朝の残した澎湖庁舍を活用したものでしたが、木造建築のため湿気に弱く、シロアリなどの問題も深刻化したこと、くわえて機能や空間が次第にニーズに合わなくなってきたことから、媽宮城外の北側にある鬼仔山地区で上瀧組の請負のもと、新たな澎湖庁舍が建てられました。
新しい澎湖庁舍は、二層の石造とコンクリートの建築物で、用いられている石材は、すべて現地で採れた玄武岩です。全体にシンメトリーの設計が用いられ、屋根は日本式の伝統的な屋根瓦が葺かれました。中央部分には「天照皇大神宮」の塔楼が配され、まるで冠を被ったように見えることから、帝冠式建築とも呼ばれていまます。外壁は戦争に備え「国防色」であるカーキ色に塗られました。台湾の祖国復帰後も、中華民国政府は澎湖庁舍を澎湖県政府の事務所として使用するなど、歴史的な価値を具えた建築物です。
アクセス情報
23°34'11.02800"N 119°34'2.38800"E