ここは澎湖地区において保存が比較的なされている伝統住宅地です。先民たちがこの土地の地形を観察した際、周囲の地形がまるで蓮の花弁のようだったことから村ができた当初は「花宅」呼ばれ、花の芯にあたる山仔尾頂付近が開墾され、家屋が築かれ、「花宅」が形成されました。1971年に元総統・蒋経国氏が花宅を視察した際、ここが望安郷にある四つの村落の中央に位置したため、「中社」と改められました。村には今でも長い歴史をもつ石造りの家屋が残っています。
中社村の建物の形は「一顆印(ひとつの印鑑)」式と呼ばれる三合院建築で、非常に特殊な古集落です。元々は伝統的な三合院住宅が約80棟ありましたが、現在は50棟ほどが保存されています。
アクセス情報
23°22'12.46800"N 119°29'45.63600"E