金亀頭砲台は、馬公半島の最西端に位置しています。この砲台は清朝の光緒年間に澎湖に設けられた四つの新しいアームストロング砲の砲台の一つで、地勢の関係上、その中でも最も重要な一つです。
亀山にあることから金亀頭砲台と名付けられ、大山嶼にある旧称「蛇頭」の風櫃尾蛇頭山と東西対象の位置関係にあり、ともに馬公の港を守っています。金亀頭砲台は、当時澎湖で火力が最も強い砲台の一つでしたが、清仏戦争の際、火薬庫がフランスの軍艦の砲撃を受け、戦闘能力を失ってしまいました。
日本統治時代になって、砲台の外側の門の額に書かれていた「天南鎖鑰」の文字が「天南砲台」に改められ、演習に使われるようになりました。第二次世界大戦後は国軍が接收して進駐しましたが、その段階で、金亀頭砲台には防御能力が失われていたことから1951年に全面的に廃止され、軍事通信用の施設として使われるようになりました。2001年には国定古跡に指定され、2008年に澎湖県政府が接收し、金亀頭砲台文化パークとして整備されました。
金亀頭砲台の最も重要な建築様式は、ヴォールト状の兵舎で、澎湖地区の砲台の特色でもあることが見て取れるでしょう。厚さ、およそ11から115センチメートルの石積みの壁面が両側の塀の基礎となっており、塀の上は赤レンガを使ってアーチ形のヴォールトが形成されています。砲台の周りは、玄武岩を積み上げた塀で囲まれ、砲台の台座部分と入口にある牌楼はよく保存されており、いにしえの戦地の風情を感じ取ることができるでしょう。
アクセス情報
23°33'50.99976"N 119°33'38.66724"E