西嶼東台軍事史跡エリアへのご来訪を歓迎 澎管処ボランティアがガイドツアーサービスを提供
115-04-27
遊憩科
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澎湖の本格的な観光シーズンを迎えるにあたり、来訪者に西嶼の軍事文化をより深く理解していただくとともに、迅速で心のこもった観光サービスを提供するため、交通部観光署澎湖国家風景区管理処のボランティアチームは「西嶼東台軍事史跡エリアガイドサービスステーション」に常駐します。ボランティアによるツアーガイドサービスを通じて、来訪者を歓迎し、地域ならではの温かなおもてなしで、充実した軍事文化観光体験を提供します。
「西嶼東台軍事史跡エリア」ガイドサービスステーションは東昌営区内に位置し、4月1日から9月30日までの6か月間、毎週5日(月・木・金・土・日)にボランティア2名1組で常駐します。東西堡塁の2か所の軍事施設について無料ガイドを実施し、日本統治期に建設された砲台跡、地下トンネル、堡塁、兵舎などを巡りながら、歴史的背景と見どころをわかりやすく紹介します。また、Wi-Fi提供、資料案内、イベント広報、安全啓発などのサービスも行います。
澎管処は、「西嶼東台軍事史跡エリア」は澎湖を代表する戦地史跡の観光スポットであり、「歴史建築としての保存価値」を「観光・レクリエーションとしての再活用価値」へと転換したものであると説明しました。特に、東堡塁の双子砲施設を特別公開し、米軍艦艇の5インチ砲の内部構造を間近に見る機会を提供しています。また、澎湖県政府文化局清涼弾薬庫や銅牆鉄壁などの軍事観光スポットと連携し、地域色豊かなテーマ型観光の推進を図っています。
軍事施設ミニ知識:
「西嶼東堡塁」:西嶼東砲台(別名西嶼東台)に隣接し、かつては虎賁部隊が駐留していた場所。日本統治期における澎湖島防衛要塞の重要な堡塁砲台の一つです。L字型配置の営区には、国軍が設置した見張り所のほか、日本軍が内外の出入りを管理するための門柱や衛兵の詰所、地下に埋設された貯水施設、さらに壕型構造の日本式シェルターが備えられています。
堡塁は南向きに位置し、澎湖の外海に面した4門編成の海岸防御砲台です。1901(明治34)年3月20日に着工し、1903(明治36)年3月28日に完成しました。砲台は安平射撃を主目的とし、計4門を備えています。いずれも日本軍が鹵獲して再利用したイギリス製12インチ口径アームストロング後装砲で、全周回転式砲架を採用していました。現在は胸壁、弾薬庫孔、砲座のみが残り、往時の威容を今に伝えています。
「双子砲」:国軍が西嶼東堡塁に進駐後、元のアームストロング全周回転砲座を利用して105mm榴弾砲を再設置し、砲搬入用スロープを拡幅しました。さらに1977(民国66)年には、砲座下方の第2側弾薬庫内に地下へ137段続く掩体壕を掘削し、艦艇から取り外したアメリカ製5インチ艦砲2門を設置して沿岸砲として運用し、「東堡双子砲」と呼ばれました。双子砲は待ち伏せ射撃または直接照準射撃により、馬公水道を封鎖する役割を担っていました。艦砲の射程は16.452キロメートルに達し、澎湖のほぼ半域をカバーします。さらに半自動の速射性能により毎分22発の発射が可能で、当時は澎湖水道防衛の要として機能していました。
現在は国軍が撤収していますが、5インチ艦砲は良好な状態で保存されており、当時の防衛体制を伝える貴重な遺構であると同時に、西嶼東堡塁を代表する重要な軍事遺産となっています。
「西嶼西堡塁」:秘密基地を思わせる西嶼西堡塁は、南向きに位置し、内垵湾を望む羊山上に位置する日本統治期の澎湖島要塞を構成する堡塁砲台の一つで、3基の砲座に6門の砲を一直線に配した海岸防御施設です。各砲座には口径28センチの榴弾砲が2門設置され、直径90センチの探照灯を備えた探照灯室1基と、観測所および指揮所が各2か所配備されていました。中央の砲座は後に砲塔式砲台へと改修されています。
西嶼西堡塁は1903(明治36)年4月25日に着工し、1904(明治37)年10月25日に完成しました。砲台内には掩体壕、兵舎、トイレ、弾薬庫なども整備されており、西嶼地域において最大規模かつ最も設備の整った日本式砲台の一つです。
本砲台へは旧東昌営区と長く続く緑の回廊を通って入ります。途中では桶盤や虎井を遠望できます。砲台内部は木々が生い茂り、豊かな緑陰に包まれた静寂で落ち着いた空間が広がり、まるで俗世を離れたかのような趣を感じさせます。
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